「ダリ展」鑑賞のため京都市美術館行ってきた-奇想天外な世界へトリップ!

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カフェで早めのモーニングを食べてから、快晴のなか京都市美術館へ向かった。もうちょいで行きそびれるところだった「ダリ展」を鑑賞するためです。
ダリは作品を見ればすぐにダリだ!とわかるほど作風に個性があるというか、奇想天外な作風ですね。

アートに触れるとき、わたしは予備知識をほとんど入れません。自分の感性を優先します。そして魅かれたものを隅々まで観察して、後で時代背景や作者の想いを調べています。
あーだこーだと言われて先入観を持ちたくないし、あーじゃないかこーじゃないかと想像力を働かせることが楽しい作業だからです。
先に作品を知っているほうが、より深く楽しめるという方もいらっしゃいますよね。人それぞれ楽しみ方は自由!
楽しければIt’s  OK!

では、「ダリ展」の感想とダリ自身について今回は記事にします。

約10年ぶり!日本での回顧展

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2006年に、生誕100年記念ダリ回顧展が開催されてから約10年ぶりの今回の「ダリ展」

恐るべしダリ人気

時間に余裕を持って行ったのに、すでに美術館内はすごい人混み。ちょっと帰りたいという気持ちもあったが勇気をふりしぼって前へ進みました。人混みが大の苦手。
驚くのが年齢層の広さ。まさに老若男女、冷やかし感はなくて熱心でした。だから、作品1枚1枚に対する鑑賞時間が長いこと。なっかなか列が進まない状況でしたよ。笑

恐らくその理由は、ダリの作品が多種多様であることと、一般的な感覚では思いつかない奇想天外ぶりに見入ってしまうからでしょう。
ダリは絵画だけではなく、オブジェ・ジュエリー・衣装デザイン・挿絵・書籍・映画の製作・美術館建設などあらゆるジャンルで才能を発揮、しかも成功を収めています。好奇心が旺盛で面白いと感じたことへの入れ込み方が半端じゃない。

ちょっとした撮影ブースもあって賑わってました。
ミュージアムグッズは学生さんの購買率が高いように感じました。全体的にちょっとお高めでしたけど、個人的には作品に出てきたやつのフィギアが欲しかった!5,000円超えてたので断念しましたが。笑
どでかい抽選ガラガラみたいなのがあって、これはやりました。300円でダリ紙幣を買って回すんです。そしたら卵型のケースが出てきて、中にシールとモチーフピンが入ってます。中身は何が当たるかはお楽しみ~

ピカソのように芸術家として生きているうちから評価されて、死後100年以上経過してもニーズがあるなんて凄い存在ですよね、ダリ。

「ダリ展」は京都開催後は東京へ行きますので、さらなる混雑は容易に想像できます。
みなさん覚悟して行ってらっしゃい!笑

 

日本では過去最大規模のダリ展

2006年開催時の作品数は87点でしたが、今回はなんと約190点の作品数
そりゃそうだ。主催のガラ=サルバドール・ダリ財団、サルバドール・ダリ美術館、国立ソフィア王妃芸術センターから集まってくるわけですから!生誕100年より、110年が盛り上がるのがまた面白いですね。

面白いといえば、ダリ展の告知ポスター
ルー大柴とダリが並んで映ってるんです、実は。言われなきゃ気づかないでしょ?これ企画した人すごいね。そして企画通したのもおもろいわ~

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出典:Jcastニュース

さあ、あなたはどちらがダリか?ルー大柴か?
わかりましたか?

作品の印象

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出典:ダリ展|京都市美術館

あ、これダリだわ!とハッキリわかる作風は、1929年ごろからかな~と感じました。ダリが25歳くらいで、最愛の妻であるガラと出会った頃です。
それまでは、あの強烈な個性は感じられない。ダリはポスト印象主義、キュビスム、ピュリスム、リアリズム、古典主義など様々な美術の影響を受け続けて、自分の芸術を作り上げます。

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ドラッグやってたでしょ?

奇天烈さ爆発な作品たちを見てるとそう思います。

絵画なんか特にそうなんですけど、我々が見えていない世界が見えている感じ。未来とか過去とか今とかの時間軸がないんです。心の?脳の?精神世界の?どこか説明のつかない深い深いところにある風景が広がっている。そこは無機質。冷たいとか暑いとか感じないし、風が向いてる気がしない。空気があるのか?とさえ思う。そう考えたら宇宙に近いかな、まだ見つかってない惑星の景色のような・・・。

絵を見てると、砂漠に一人残されるよりも孤独を感じます。あ、もちろん絵によりますけど。
静かな怖さです。感情が見当たらない?笑

ダリはシュルレアリストのグループに所属してましたから、敢えてその手法だったのでしょうけど、それだけではない彼の奥深くにある闇を感じてしまいます。

シュルレアリスムとは、シュル(超)レアリスム(現実主義)、超現実主義と日本では訳されます。現実を超えた、無意識の世界での心象風景を描いている。難しいな・・・笑
芸術の表現方法の一つですね。意図的じゃない、自然とイメージが出てくるものをそのまま表現してます。簡単にいったら意識してないときに思い浮かんだこと、夢で見た内容、瞑想中に降りてきたことをありのまま作品にしていく感じですかね。だから、現実を超えてるへんてこワールドになっていきます。

そう、ドラッグをやってたかどうか?ね。
ダリ自身が「私はドラッグは使っていない。私自身がドラッグだからだ!」と答えてますので、違うらしいですよ。ホンマか?

 

奇才サルバドール・ダリは内気なパフォーマー!?

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普通に絵が上手い少年が、先述したように1929年頃から急に変わりだしたのはなぜだろう?わたしはダリが内気でコンプレックスの塊な人に見えたし、すごく細やかで繊細な印象も受けた。弱くて、ずる賢そうだけど不器用な男。他人の真実はわかるはずないけど、生い立ちや時代背景から、わたしなりのダリ像を描いてみました。

自称天才の歪んだアイデンティティ

ダリは1904年にスペインで生まれ、裕福な家庭で育ちました。
突然意味もなく友達を橋から落とすというエキセントリックな面がある少年で、急に怒り出したり情緒不安定な子どもだったと言われています。
父は厳しかったけど、母親はいつでも優しい存在でした。しかし、ダリ少年を理解して受け入れてくれた母は、ダリが16歳のときに乳がんで亡くなります。
父親はすぐに再婚しますが、その相手が母の妹ですからダリの叔母さんですね。叔母さんのことは嫌いじゃなかったみたいですけど、ダリ少年は。

実はダリには兄がいて、ダリが生まれる前に2歳で亡くなっていました。ダリが5歳の時に兄の墓前で、あなたは兄の生まれ変わりだと両親に言われます。両親は長男を失った悲しみから、次男であるダリに長男と同じ名前のサルヴァドールと名付けていたのです。

5歳の少年は率直にどう感じたでしょうね。
自分は自分ではない。兄を失った両親のぽっかり空いた穴を埋めるための存在なのではないか?今でも自分より兄が好きで大切な存在ではないのか?
自分は兄の代わりでしかないのか。幼いながらに嫉妬とまではいかなくても、寂しい感覚を覚えたのではないだろうか?

それを認めたくないダリは「兄の生まれ変わりということは自分は復活を果たしたわけだ。選ばれし者、特別な存在なんだ」と、自分で自分を過大評価するようになった。実際、サルバドールとはスペイン語でイエス・キリストを意味する。

ダリ少年は己のアイデンティティ、存在意義・存在価値を高めたくて、都合の良いように歪めていったのでしょう。

強いものへの憧れ、盗み上手な人気画家

ダリは6歳で油彩画を描いています。ピカソの友人にも認められる実力で、20歳で個展も開いていますから才能は早くから光ってたのですね。またその光を見つけてくれる存在に恵まれる画家だったのでしょう。これも一つの才能です。

ダリはルネサンス期の宗教画家ラファエロを尊敬しまくってました。聖母子像で有名な画家ですね。その影響は晩年までずっと続きますが、他にもダヴィンチ・ピカソ・フェルメール・ミロ・ルソーなどビッグな画家からの影響を受けて作品にわかりやすく表れています。

成功する者は、価値あるものだけを盗むスペシャリストと言えます。
ダリと同郷のピカソもこう言っていますから。

芸術とは盗むことだ

盗むとはそれだけ観察、研究しているわけで、オリジナルを盗んで盗んで盗んだ先に自分の世界観が作り上げられていく。そのオリジナルも結局は盗作でしょうし。笑

さらに面白い名言があります。

オリジナリティとは何か?バレない盗作である
ウィリアム・ラルフ・イング(イギリスの神学者)

ダリは1930年代にファシスト的思想を持ち、ヒトラーに傾倒します。それも一因となって、シュールレアリスト・グループを除名されることになるんですけどね。ですが、ダリ人気は強くて除名後も仕事はあるし別に困ることもなかったみたい。

1950年代からダリは化学に関心を強く持ちます。原子物理学も学んで見事に作品へ取り入れています。
きっかけは、日本に落とされた原爆。その威力に衝撃を受けたダリは、核のパワーの源に魅了されていきます

そして1945年「ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌」を描いています。

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出典:ダリ展|京都市美術館

こうして彼の趣向を見ていると、強いもの、力のあるもの、影響力があるものに目を向けているように感じます。弱い自分というコンプレックスを埋めて威勢を張りたい、だから強いものへ憧れを抱く傾向があるのではないだろうか。
人の闇や弱さって、何とも言えない複雑に絡まった感情から、多くの人を惹きつける芸術作品を生み出します。
だから人間が作り出すアートは知的好奇心が絶えないわ!

 

奇人or常識人。本当のダリの姿はどっち?

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子どもの頃は先述しました通りだが、大人になっても奇行は多かったダリ。

象に乗って凱旋門に現れたり、潜水服を着て講演会に登場した挙句、酸素不足で死にかけたり、お騒がせセレブ並にマスコミへネタを提供するダリは世間では人気があったけど、仲間内からは批判されました。でしょうね。笑
レディ・ガガと同時に生きてたら、かなり面白い芸術作品が生まれたのじゃないかと勝手に残念に思ってます。

ダリは女性恐怖症でした。いや正確には女性器嫌い。それが性欲の強いガラと結婚するのだから人生わからないもんです。
又、親しい友人からの評価は世間と違っていました。思いやりがあって礼儀正しいし、繊細であまり目立たない常識ある男だと。なるほど・・・奇人を演じていたのか?関係ないけど身長は172cmほどで高くなかったようだがイケメンです!

ダリの作品は心の奥深くを表現するのと、ダブルイメージといって一つのものを二つに見せる手法をとっていました。だまし絵みたいな感じです。説明されないと気づけないけどね。
そして自分の製作方法を「偏執狂的批判的方法」と言ってます。偏執狂的・・・批判的・・・ちょっとやっかいな感じ。笑

で、ダリの本当の姿はどうなん???

ダリの作品は誰にもわからない。ダリにもわからない

ダジャレか!
ダリがそう発言しているように、作品だけじゃなく自分自身のこともわからなかったのではないでしょうか?本当に知りたかったとも思えない
ただただ、最高の技術を真似て、魅惑的な力に憧れ影響を受ける自分の中に現れたイメージを、緻密な作品にし続けていった。

しかし気弱なダリだけの力では売れない。
そこには妻であるガラの支えがあったのです。

最愛最強の妻、ガラの影響

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悪妻とも言われたガラ。何を持って良妻、悪妻と決めるのかも疑問だが・・・ダリの才能を存分に開花させ、後世に残るほどの影響力を持つ芸術家に育てあげたのはガラの存在があったからです。
ダリが一番わかっていたでしょう。ガラなしでは俺は抜け殻だと。ダジャレ。

画家たちのミューズは自由奔放

ガラとダリが出会ったのは1929年ダリの作風が確立され始めた頃ですね。ガラ35歳でダリ25歳だったので10歳差です。
実はその時のガラは人妻でした。しかし、ダリはこの年上女性に恋い焦がれ夢中になったのです。そして5年後の1934年に結婚します。
こう書くと恋する男女の障害を越えた愛!みたいな話ですけど、ダリ以上にガラの個性は強烈です。

ガラ(本名:エレナ・イヴァノヴナ・ディアコノワ)は1894年、ロシア帝国のカザンで生まれました。父親が弁護士で裕福な家庭でした。1917年、23歳の時に幼馴染で後に詩人になるポール・エリュアールと結婚します。娘を授かったのですが、あまり子どもが好きではなかったようで育児放棄したとのこと。

30歳の時に画家・彫刻家であるマックス・エルンストがガラに恋をします。そこからなぜそうなったのか、ガラと夫とマックスとの奇妙な三角関係の生活が始まるのです。しかし、その生活に耐えられなくなった夫ポールが失踪しちゃいます。ガラとマックスは何とかポールを見つけ出して話し合いをし、マックスが身を引いて元通りの結婚生活に戻ることにしました。
元サヤにおさまるのも不思議だけどね。ガラには才能ある芸術家を惹きつける魅力があったのでしょうね。モデルになったり男たちのミューズとしてモテモテだったようですよ。
継続を選んだ結婚生活はダリとの出会いにより、すぐに終わりを迎えます。ダリとガロは駆け落ち状態になり、旦那は捨てられる結果となりました。

天才ダリをプロデュースした、やり手の妻

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ダリは生涯ガラを愛し必要とし続けました。そこでちょっと疑問。確かダリは女性恐怖症だったはず。
ガロはダリにとって初めての女だったと言われています。女性経験がなかったわけですね。百戦錬磨のガラだからこそダリは落ちたのかもしれない。ダリは大好きな母親を16歳で亡くしていましたよね。年上女房に惚れる理由にはマザコンもあると思われる。ガラも若い芸術家が好きでしたし、互いに条件はぴったり。

奔放なガラですけど、ダリには献身的でした。今までになかった貧乏生活にも耐えて、ダリが創作活動をしたり寝るときには知識となる本を朗読してあげていました
又、内気な夫に代わり社交界や画廊でダリの作品を売り込んでいきます。そして売れないと感じたら、商売の拠点をアメリカへ移すという行動力。これは戦時中ですね。
ダリは自分にはない強さと社交性を持つガラをまさしく女神として崇拝した。そして男を虜にする女性の共通点は知性です。知識が豊富で話術が巧みであったからこそより美しく輝いてみえたのでしょう。

ダリをダリたらしめたのはガラの洗脳。笑
「あなたは天才よ!」と繰り返して夫に言い聞かせて、徹底的に自信を与えたことです。ダリはコンプレックスを忘れて、自分はやっぱり天才なんだ!と確信に変わっていき、作品に独自性と勢いが増していきました。さらにガラはダリのマネージャーとなって、作品の販売と管理、財産管理、夫のパフォーマンスを演出してその才能をみるみる伸ばしていきます。
こうなったらダリはガラから離れられないよね。自分の力を信じて成功まで導き、味方でいてくれるのだから。

一方でガラは結婚後も多くの男たちと関係を持ちます。そこに元夫も含まれてます。性欲が強いこと、若いアーティスト好きが理由にあげられますね。しかしわたしはそれだけじゃない気もする。ダリの女性器嫌いも少なからず影響していると思う。実際、ダリはガラの性的嗜好についていけなかったという話もありますし。性生活としてはぴったり合うわけではなかったのでは?

ガラは42歳の時、子宮筋腫で子宮摘出しています。女性であり続けたい焦りみたいなのもあったのかな。
ダリは妻の日常茶飯事な浮気を見て見ぬふりをして、自信も61歳のときにアマンダ・リアという40歳も年下の女性と付き合います。妻公認です。これまた見た目から奇抜な女性で、ダリの好奇心を大いに刺激したようです。
アマンダは男だったのではないかという噂がありました。まあ結局アマンダはモデルや歌手で売れ出して、ダリから離れていきます。

1982年にガラは88歳でこの世を去ります
ダリは失意のどん底に落ち「人生の舵を失った」と絵を描くことを完全にやめます。ダリの芸術はガラの中に常にあった。
最期までダリからもらった城で若い男たちと奔放に遊んだ妻は「自分が死んだらダリをお願い」とアマンダに伝えていたという話もあります。
愛の形は決まってない。物理的に常に一緒じゃなくても、お互いが死ぬときまで心にずっと存在した人が、最愛の伴侶なのかもしれない。

さいごに

絵画、彫刻、音楽・・・これらは技術だけじゃない、魂が生み出すものだと思う。だから人の、誰かの心に響くのだ。
そんなことが役に立つのか?芸術ってそんな必要か?という人もいる。
知らねえよ!笑

見たい、作りたいという人間がいる限りなくなりはしないでしょう。

ではでは、ダリ展についての詳細はHPで確認してください(^_-)-☆

ダリ展|京都市美術館|国立新美術館

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リリー

棚から牡丹餅が好きな管理人リリーと桜文鳥の、自由で豊かな生活(を目指す)ブログです。 好奇心旺盛(飽き性)で細かいことが苦手なため、雑多なブログですが、ゆる~く愛を込めて記事は書いていきます。何かヒントになれれば嬉しいです(^^)v 「30代~40代働く女性のためのパワフルビューティコーチング」のコーチもしておりますので、ご希望の方はお申込みフォームからお願いします♪